ホビー館のセンムが今アツい!海洋堂センムの60年

これが海洋堂だ展~海洋堂センムの60年

還暦記念ということで、今「これが海洋堂だ展~海洋堂センムの60年」という展示会が行われているのをご存知ですか?

センムの今までの60年を振り返りながら、時代と共に手がけてきた作品の展示会が海洋堂ホビー館四万十で行われています。

今回の主人公であるセンムこと 株式会社海洋堂 代表取締役社長 宮脇 修一氏 は「2年後に今度は高知の南国で海洋堂の工場を作るんだ!」とか、まだまだ夢と野望に燃え活躍されている非常にエネルギッシュな方。

昔から模型に関する仕事をされてきたモノづくりのスペシャリストです。

生まれ故郷である大阪京阪の枚方から始まり、大きな模型店を建てて、スーパーカー、F1などが走れるレーシングコースも作ったりと、模型に纏わるあらゆるチャレンジを続けてきた歴史を見る事が出来ます。

これから夏休みの時期に入って、始まったばかりの今回の展示会に沢山来場してもらいたい。(四万十町の観光と合わせて)

そのためこの展示会の魅力を伝えるべく取材&挨拶に伺ったところ、センム自らが快く今回の「海洋堂だ展」の想いを語ってくださいました。

きっとセンムのここにいたるまでの“想い”を読むと、見に行ってみたいと感じることと思います。

そしてその中には、我々の知らない昔の貴重な話もしていただきました。

当時はまだまだ恥な文化だった!?

センムの思い出話の中には、1980年代当時の貴重なアニメ市場の現場も知る事が出来ます。

今では超有名になっている(株)スタジオジブリの話です。

映画監督・宮崎駿さんの事は良く存じていて、当時の様子を教えてくれました。

宮崎駿さんといえば、「となりのトトロ」「ラピュタ」「風の谷のナウシカ」…と、だいたいの人が知っている名作を世に出していますね。

▼「風の谷のナウシカ フィギュア」どこよりも早く製品化したのがセンムだったのですが…

しかし当時1980年代、この名作達、当時はまったく流行らずに映画館での上映自体がすぐ打ち切りになってしまったそうです。

今では何度も金曜ロードショーで上映されている「ルパン三世 カリオストロの城」も当時は全然お客が来なくてガラガラだったというのは今では信じられません。

会社もジブリなんていう名前でなく『ニバリキ』という名前。

映画がヒットせず、採算も合わず貧乏だった当時、宮崎さんは模型雑誌などで漫画を描いて生活をつなぎとめていたそうです。

「“ジブリ”という名前も、あれはイタリアの爆撃の会社の名前をとって名づけてんだ」というエピソードにも驚きました。

そんなスタジオジブリという名前の会社になったのは、映画がようやくヒットし始めた頃、「魔女の宅急便」の公開時期くらいだそうです。

1989年…このころからやっと宮崎アニメが世に認知されだしてきたようなのです。

模型に関してのパイオニアのセンムだからこそ知っている昔のスタジオジブリと宮崎駿さんの貴重な実話でした。

“あの頃”の貴重な思い出

この手のジャンルでは第一線で活躍されていだだけあって、驚くような当時の情報を知っている宮脇センム。

ただ貴重なエピソードの裏には、悔しかった思い出もあるようです。

このジブリのように、世間に認知されるまで結構かかったのはセンムの模型やフィギュア工作も例外ではなかったのです。

▼初期の作品。日本のオリジナルである「ゴジラ」にすぐ目をつけて制作をしたものの認知度はまだ低かった。

1984年に「オタク」という言葉が出来たのですが、これははじめは差別用語だったのです。

そして知っている人もいると思いますが、今から15年前までは差別用語という事で、なんとTVでは放送禁止用語だったという事実。

専務は模型を完成して世に出すことが楽しくて夢中だったのに、世間では長い間アニメやフィギュアを好むのが恥ずかしい事だという差別的な意識があったようです。

▼これは始めの頃作った船模型のラフ画をデザインした紙。包み紙なんかに使うと洒落ていて良いのではないかと感じたのですが、80年代当時はカッコ悪いナンセンスな事だったそうです。

フィギュアやアニメが当たり前のように認知されている今では考えられないくらい閉塞的な価値観だな~と思うのですが、そう遠くない昔にあった差別的な見方。

それでも注ぎ続けた情熱が常識を変えていく「その時」はやってきます。

オタク文化のパイオニア

そんな1980~1990年代の中でもセンムはブレなかった。

模型を作る楽しみに魅入られてしまったセンムは、なんでもかんでも形に…景色でさえも形にするという“その道”を極めたいという想いを突き進み、今まで世に色んなブームと認知を生み出していったのです。

この辺は、海洋堂館内でダイジェストムービーを流しているので是非見て欲しいのですが…

お菓子についている「おまけ」のミニチュアのブームを引き起こしたのは他ならぬ宮脇センムなのです。

そんなおかしのおまけも5000点程作ったそうで…

おそらく時間も忘れて没頭していたのだと思います。

当時まだ認知度が低かったフィギュアの商売を始め、その市場を作ったのもセンム。

まさしく情熱が常識を超えた歴史です。

▼ちなみに昔のフィギュアの完成品は色がなかったようで、今みたいな色つきのフィギュアは当時売られてなかったそうです。
(それらの作品も今回ちゃんと展示されています。)

分かる人が見るとコレ、非常に貴重なんです!

そしてこれらの展示物は「オタクの市民権を得てきた歴史」でもあります。

これが海洋堂だ展~海洋堂センムの60年~

社会から差別的な見方をされていた時代もあった…でも自分の信じた道を夢中で走り抜けた先に、こんなにオタク文化がグローバル規模で栄えたのです。

その歴史が分かれば、この展示会はセンムの自己満足でやっている訳ではないというのはお分かり頂けると思います。

そして、この海洋堂ホビー館四万十

高知県として、四万十町として作っている公立の建物です。

有名な個人の作家や漫画家さんは、個人で稼いだお金を使って記念館や美術館を建てたりするのが通例なんですが、高知県は県として“オタクの美術館”を作ったのです。

「そんな高知県はすばらしいと思う…」想いに共鳴をしてくれた高知県をセンムは称えてました。

センムの展示会は、10月2日(月)まで行われています。

貴重なフィギュアをはじめとした玩具の歴史を垣間見ることができるので、是非多くの方に見て、知って欲しいですし、フィギュアや模型が好きな方は、この機会に今までの歴史というか“ルーツ”を知ってほしいものです。

情熱あるセンムには館内でお会いしたら色々と当時の事を伺う事ができるかもしれません。

37年前から模型やフィギュアに携わり続けて今に至る…

まさに歴史の生き証人です。

●時 間:10:00~18:00

●休館日:毎週火曜日
※夏休み期間7/19~8/31は無休で毎日開館

●入場料:800円 子どもは半額
※小学生未満は無料です!

●お問い合わせ:☎0880-29-3355


戦車の模型などを動かしている専務の顔は子どものような好奇心に満ち溢れた表情でした。

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四万十町の観光協会です。日々の出来事やイベントについて、情報発信していきます。楽しんでいただけると幸いです。
高知県高岡郡四万十町茂串町1-14
shimanto-town.net
2013年4月に登録