岩本寺の遍路石2 高田屋嘉兵衛さんについて

四国37番札所岩本寺にある小さな遍路石 高田屋嘉兵衛さんについての第2回目です。
前回長々と書きすぎちゃいましたので今回は、ぐっと端折ります。
まあ、司馬遼太郎先生の「菜の花の沖」を読むのが一番!!
ぶっちゃけた話をしますと、
江戸末期
北海道函館に本店を置いていた兵庫の豪商高田屋嘉兵衛さんは、国後島沖でロシア帝国のイケメンのリコルドさんに拿捕されて寒い寒いカムチャッカに連れて行かれしまった。
この時、あんまし体の強くなかった奥さんのおふささんは、、高田屋の者を連れて四国八十八か所に無事帰ってくるように一生懸命にお願いして回りました。
ご利益があって、1年後無事帰ってくることができ、帰国した高田屋嘉兵衛さんは、さっそく四国八十八か所にお礼まいりを行いました。
なお、
奥さんのおふささんは、都志村の網本の娘(村のアイドル、マドンナ)で嘉兵衛さんとラブラブになってしまい、かけ落ちをしております。
何かお返しができれば(何か役に立つものを)と考え、岩本寺の聖心和尚(?)に相談したところ、
「それなら添蚯蚓坂の海月庵を直したらええわい・・・」
海月庵の新築(?)となりました。庵寺の横に遍路石を置きました。
昭和30年ごろ(?)村のもんが、何を思ったかわからんが、岩本寺に運んできました。
四万十町には、こういう人らがぎょうさんいるようです・・・言い出したらきかん人らが(いごっそう?)
DPP_1020.jpg
高田屋嘉兵衛さん 生まれは農民ですが、功績が認められ刀をもらいました 
DPP_1031.jpg
高田屋の屋号 帆にこの屋号がつけられていました
高田屋の品なら問題なしと絶対的な信頼を受けていました
DPP_1066.jpg
嘉兵衛を成長させた都志浦の港(現在)
DPP_1032.jpg
函館にある高田屋嘉兵衛の銅像
行ってみたいなあ~ りりしい嘉兵衛さんに会いに・・
ピンポ~ン!!ピンポ~ン
では、前回のクイズです
DPP_1024.jpg
貧しい農家の長男として生まれた嘉兵衛さんは、努力して27歳の時に「辰悦丸」という和船を持ち船として建造します。この船は、何石積みの船だったでしょうか??
ヒント)当時、幕府が許可していた最大は、1500石でした。
①1000
②1400
③1500
④1200
答え ③の1500石です
当時は、ものすごい巨船だったようです。
なぜに幕府は1500石を上限にしていたかといいますと
ようは、徳川家康さまのご意向のみで徳川安泰が目的です!!
どの将軍の改革をしなかったんですね!!
では、(^O^)/
参考資料
司馬遼太郎著
 「菜の花の沖」全6巻   
小学館発行
  週間歴史の道47 高田屋嘉兵衛 北前船と択捉航路  
P.I.リコルド著 斎藤智之訳
  対日折衝記    
クニ・トシロウ画
  北海を翔ける男  
林一将著
  窪川岩本寺境内にある「遍路石」を寄進した豪商高田屋嘉兵衛について
以上を参考にさせていただいていますが、今回はかなり私の独断意見が入っています。
                   あんまし参考にならないかも・・・・
画像は、兵庫県洲本市五色町ウエルネスパーク五色 
    高田屋顕彰館・歴史文化資料館【菜の花ホール】のパネルを使用しています
    ここ是非行ってみて一人でぶらっと行っても映画を見せてくれました
    晴れた日は、お子ちゃまも喜ぶパーク、お風呂もあるようです!!

IMGP2713.jpg
菜の花ホールのパンフレット

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です